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2011年 07月 30日
「life on the line 」
レスキュー隊・隊員 男性28歳 この手を はなせば この子 は 死ぬ この子は 俺に 命を あずけている しびれるな ・・・・・いつもの ことだが それでも しびれる あの詩 を 思い起こす こんな とき いつも 思い起こす うまく いくさ Als das Kind Kind war, ging es mit hängenden Armen, wollte der Bach sei ein Fluß, der Fluß sei ein Strom, und diese Pfütze das Meer. Als das Kind Kind war, wußte es nicht, daß es Kind war, alles war ihm beseelt, und alle Seelen waren eins. Hantke 子供は子供だった頃 腕をブラブラさせ 小川は川になれ 川は河になれ 水たまりは海になれと思った 子供は子供だった頃 自分が子供とは知らず すべてに魂があり 魂はひとつと思った ■
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by urahitsuji
| 2011-07-30 07:18
| ひとびと その 内緒話
2011年 07月 29日
「生きる その 意味 3」
39歳 男性 教団職員 わたくしは 色褪せた 一冊の大学ノートを 取り出し まずは 膝の上において その古びた表紙を そっと撫でたので ございます それは 遺伝子の研究をしておりました 亡き 父親のノート・ブックで ございました 研究の成果やデータのごとき類は 一切 記されて おらず ひたすら彼の 生物に 対する 畏敬の念 が 詩のように 書きのこされていたので ございます わたくしは 15歳で 父親を 亡くしました 生前 父親との間は お世辞にも 良好なものとは いえませんでした ですが このノート・ブックを 遺品の中から 見つけ出し 読み進めるうちに 忘れ去られていた 父親 への 想いが 沸々とわきあがり それまで 覚えがないほど 父親を 愛おしく 感じたので ございます 以来わたくしにとって その ノート・ブックが父 そのものであるような 気がして ならないのです そもそも 信仰の 道を選んだのも 父なるもの 天蓋 覆されることのない 言葉 を 強く求めていたからに 他なりません わたくしは ゆっくりと 彼女に そして 自分自身 に むけて 話を 始めたのでございます その 内容は 「生きる意味」「生命」と その在り様に ついてであり ます まず父親が 冒頭に書き記した 一文を 朗読 いたしました 「死の存在を識ってから 私は それを ひどく恐れた そして 最期に 死が あるのならば それに値する 生命の意味 つまり 生きる意味が なければ ならないのでは ないかと 考え始めた それが 生物学 に 身を投じた契機 である」 「生きる ことに 意味があるのか ないのか という のが 貴方の問いかけでした どうせ いずれは 死んでしまうのに この世で 御自分がなさっていることの すべてが無駄では ないのだろうかという 問いかけでございました あの日 あのセミナーで 貴方が 教祖のお答に対して 微かに不満の表情を 浮かべられたのを わたくしは 見てしまったのです それから というもの その時の光景が 頭から離れませんでした それは 実のところ わたくし 自身が あのお説に 不満 を抱いたからに ほかありません ですが その事実を そう 簡単に 受け入れられる わけもなく 些か 苦しいおもいをいたしました その時 わたしは このノート・ブックの存在を 思いだしたのでございます これは 遺伝子学者 であった父が 生前書き残したもので 生命の在り様 について冷静で 公平な視点から 記された ものであります これを もとに わたくしは お話を させて いただきたいので あります」 それからわたくしは 順を追って 生命について 彼女に話を始めました 生命とは 種を 繋いでゆく 送り手 と 受け手 である ということ 種は 遺伝子 残す だけでなく 知恵 を 残す ということ また その 知恵には 愛や思念や文化 等が含まれる ということ 「わたしは 何も残せないかも 知れない 子供だって 産まないかも 知れない」 彼女が 唐突に お話を始められました 「その とうりで ございますね わたくしとて 同様で ございます ですが それでも かまわないのです 種は その 総体として 強固な意思と 強靭なシステムを 保持する と父は申しております つまり たとえ子供を 授からなくても 某か の 叡智 を後世に残すことが なかった としても あなたや わたくしの 存在 そのものが 種を維持し 存続 するたに システム上 どうしても 欠かすことのできない 一要因 である とのことです」 「わからないわ」 「父は こう続けています 何かの 異変 それは 物理的なもの や 天変地異 それ以外の形のないケースも含めて 異変に対応するには 種 が バリエーション つまり 様々な 個体差 個性を 持つ必要が あると」 「なんだか ・・・・あなたの話を聞いていると 」 「はい いかにも そうなのです お気づき いただいたでしょうか 結論を 申しますれば 教団のセミナー 或いは 何かの 相談などで引き合いに出される 意味合いでは 生きることに 意味など ない ということでございます あなたや わたくしが 個人として 生きるのに 意味 などは ない と いうことなので あります」 しばらく 時間が流れ 沈黙がありました 年を取り過ぎた ウエイトレスが 二三度 水のお替わりを コップに そそいで くれました そのあいだ 彼女は タバコを二本 灰にし 三本目を あの赤い箱から 抜き出しながら こう告げました 「ありがとう そう 言われたかった んだと 思うわ 意味なんか ない と そう言って ほしかったんだと思う」 「いいえ お礼を 言わなければ ならないのは わたくし のほうでございます」 コップの 水を 飲み干し それから 今一度 古びた ノート・ブック を 撫でました わたくしも 決心が ついたので ございます ■
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by urahitsuji
| 2011-07-29 06:28
| ひとびと その 内緒話
2011年 07月 28日
「生きる その 意味 2」
39歳 男性 教団職員 女性信者に お目にかかった のは 教団の施設ではなく、梅田のさるビルにある 古い喫茶店でございました 往年の キャバレーを彷彿とさせる 内装 年を取り過ぎたボーイにウェイトレス 正直に 申し上げれば かなり 混乱を期しておりました 教団側の一員として 運営上の 理由からで あれば 別のまっとうな方法が 幾つもあるはずです にもかかわらず わたくしは 教団と教祖の 名を騙り 個人的に かの 女性信者 と 面談しようと していたのです どう理由づけ しようとも これは 背信行為であり 弁解の余地は ございません ですが 今 このような 状況に なって 考えてみますと わたくしは かの 女性信者 のみならず わたくし自身 教団と教祖 或いはその教えに 全身全霊 尽くしてまいった わたくし自身にも 言葉に して 詳らか に しておくべき ひとつの事実 が あると 朧げながらも 確信していたので ございます 喫茶店で 眺める 彼女の 姿は セミナーで 見た時より 随分 年上に 感じられました と申しますより かなり 疲弊した 表情であると 見て取れました 「お呼びたて した のは 差し上げた 手紙に 記したような 次第 から なのですが・・・・・」 彼女は これといった 反応 も みせず 赤い箱から タバコ を 一本抜きとり 火を着け わたくしの話 に 耳を傾ける 態勢を 示された のでございます わたくしは 続け ました 「でき得れば 最後まで 黙したまま 聴いていただきたいのです これから お聴きいただく件は 教団職員としての わたくしが 申し述べる のではなく 単なる わたくし 個人 の 考え なのです その点 で 貴方には まず お詫びを申し上げ お赦しを乞わねば なりません わたくしは 教団と教祖の名を騙り 貴方をここに 呼び出した つまり 貴方を 騙したのです 加えて おそらく 貴方の信仰心をも ひどく 傷つけ 穢した に違いないからです どうか 御容赦 くださいませ そして でき得れば いいえ 是非 わたくしめの 言葉を お聴き くださいませ 」 「わかりました」と 彼女は 静かに告げ 燻らしていたタバコの火を消した すみません まだ 続き ます 裏 ひつじ ■
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by urahitsuji
| 2011-07-28 06:37
| ひとびと その 内緒話
2011年 07月 28日
いろいろ と 後手後手に なって しまい 申し訳ありません
「内緒話」 は 私の 友人知人 の 方々 記憶に 残る 人々 への オマージュであり メッセージ でも あります その 視点から お楽しみ 頂けると さいわいです 裏 ひつじ ■
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by urahitsuji
| 2011-07-28 05:31
| お報せ
2011年 07月 27日
「生きる その 意味 1」
39歳 男性 教団職員 それは その年最後のセミナー での 出来事 で ございました 終盤に差し掛かり 教祖 に対する質疑応答 のコーナーで 若い女性信者が 質問に立ちました 通常 質問の内容は あらかじめ 職員が チェックし その上で 場にふさわしいものを 選出しておきます この日の 女性信者の質問は 僭越ながら わたくし が 選ばせて いただいた もので あります 生きる 意味が あるのか ないのか まさに 我々の セミナーに 最も相応しい質問 の ひとつと言えるのでは ないでしょうか 教祖は 穏やかな 微笑をたたえられ いつもの 人様を 抱きこむような暖かいお声で 宗教的な観点から あるいは倫理的概念 社会通念 歴史的実証 等を交えながら 時には ブッダのお言葉や 道教の教え 東洋の古代信仰 を 引き合いに出され ある時は 優しく諭すように またある時は 激しく言い含める ように そして 最後に そっと励ます ように お説 を といてゆかれたのです いつもように わたくしは 満足でございました こうして ひとりの人間の 迷いが またひとつ 昇華 されるのでございます この瞬間に 立ち会える から こそ わたくしは ここに いるので ございます 会場で お説を 聴く人々に 満ち足りた表情 と 安堵の感が 波及してゆくのを わたくしは 見守っておりました 質問 の 役目を終えた女性信者 も 感謝の意 を 教祖に表し 静かに 席に着かれました ですが わたくしは その一瞬を見逃しませんでした 着席の際 女性信者 は 誰も気づかないほど 微かに 不満の表情を 浮かべたので ございます いつの ように 我が教祖 我が教団 我が信者 を 讃える 調べが会場を隈なく満たし 教祖 の神々しさ と 信者を 祝福 するかのように 香が焚かれ 笑顔と安堵 のうちに セミナーは 閉会を迎えました けれど わたくしの 心中は些かの 穏やさも ございません そのつぎの日も そのまた 次の日も お祈りを 捧げていても お仕事 を させて いただいて いても 食事を頂戴している際も 床 に 着き まどろんでいる時 ですら あの 女性信者が 一瞬だけみせた不満の 表情が 頭から 離れないので ございました 職務柄 信者の身元を知るとこは 容易い ことで ございます 電話 ではなく わたくしは 手紙を したためました その際 この手紙は 教祖 御本人 の意思である 一文を添え 貴方様の 御質問 に もう少し 詳しいお答 を 差し上げたい 旨 を記し 郵送いたしました ■
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by urahitsuji
| 2011-07-27 06:42
| ひとびと その 内緒話
2011年 07月 26日
「どこ か へ 行きたい」
29歳 男性 どこ か へ 行きた い と 独り言を つぶやく それが 彼女の 口癖 初めて 彼女に 会ったのは 寒い 冬の夜 ひどい事件がいくつか重なり 世間も 空気も ほんとうに 耐えがたく 凍てついた ものになっていた そのよる ちょっとした理由から 酒をしこたま飲んで 帰宅した 泥酔 していたと思う 帰宅すると ドアの 前に 彼女がしゃがんでいた 寒いので 入れてくれ というような言葉が 耳に届いた 記憶がある 僕は 何の疑念も抱かずに 彼女を 中に招き入れた ひどく酔っていたのか それとも 彼女が 他人 に NO と言わせない 何らかの力を備えていたのか 今と なっては もうわからない のだけれど とにかく そうすることが とても自然で 当り前のことであると 感じた ように 覚えている 彼女に ベッド を貸し 猫が ボロボロに引っ掻いた ソファー で 眠った 安い酒の おかげで 頭が われそうに痛み こめかみが悲鳴をあげた 夢をみた 誰かに追いかけられている 誰か? それは 巨大な うさぎ だった うさぎは すぐに 追いつき 僕の手足を 引き千切って むしゃむしゃ と 食らいはじめ これみよがしなウインク を 投げてよこし うまい と 大声で怒鳴った 翌朝 よい香りで 目が覚めた 数年ぶりに嗅ぐ香り 出汁 と 味噌 卵を 焼くニオイ ふらつきながら チッチンヘ行くと テーブルの上に 僕のアパートには あるはずのない食材で調理された 立派な 旅館の朝食 の ような 食事 が 用意されて いた 彼女は きちんと 椅子に 腰掛け 僕の顔を 眺めて いた 君が つくったの? と 訊くと 何も言わず 首を 美しく 縦にふった その日が 始まりだった その日から 僕は 彼女と暮らし始めた いや ちがうな 暮した のではなく 一緒に いたのだ それが ほんとうの ところだと思う 彼女は ほとんど 言葉を発しなかった 相槌か 痛い とか 眠い とか 痒い とか いうふうな 状態を伝える 単語 を 発するだけだ あとは こちらが 訪ねた ことに れいの やり方で 首を 美しく 縦にふるか 静かに横に振るかして 意思を 伝えるだけだった それでも ある時 夜中 ふと 目覚めると 彼女はとなりの部屋から だれか に 電話を かけて いた 悪いとは 思いながら 盗み聞き を する でも それは 僕たちの 話す 言葉 とは まるで違う シロモノ だった 記憶の 底 から 湧き出す 音楽の よう に 響いた そんな 彼女が きちんと 言葉を 話すのは 口癖 を つぶやく 時だけだった どこか へ 行きた い 昼下がり ふたりで 散歩していても 一緒に お風呂に入っていても 夕食 の時でも ベッドの 中でも 彼女は どこか へ 行きた い と 僕に 告げるのでは なく まるで 空気にでも 言って聞かせる ような 調子で つぶやいた それで 僕は 彼女を 旅に 連れ出した どこか に 連れて行って やろうと 思った 海辺の街に 一泊した 初夏の浜辺は 人影 もなく 波が キラキラとして 美しかった 彼女を 見つめると 嬉しそうな顔 をした けれど 彼女は 足を 水にひたしながら 空を仰いで どこか へ 行きた い と また つぶやいた ほどなくして 彼女は 姿を 消した 僕の前から 忽然と いなくなった あとには 何も 残されて いなかった 今に なって みれば どこか へ 行きた い と 言いたかったのでは なく どこかへ 行ってしまいたい と言いたかったのでは ないだろうか と思う ■
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by urahitsuji
| 2011-07-26 22:55
| ひとびと その 内緒話
2011年 07月 26日
「ぽつねん と オッサン」
蚊 メス? オス? ぽつねん と オッサン 急ぐな せくな あわてるな 騒ぐな 怒るな ぎゃぁぎゃぁ 言うな すねる な 凹むな メソメソ するな ジーと ゆっくり 見てたら ええねん そのうち 鴨が やって きまっせ 背中に アホほど ねぎ しょって ■
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by urahitsuji
| 2011-07-26 05:41
| ひとびと その 内緒話
2011年 07月 25日
今更で申し訳ないのですが
先日 てまねきさん から 裏さん 今書いてる その 1 とか 2 とか 3とか わかる人には わかるやろうけど わからん人 には なんのこっちゃ って 感じとちゃう 指摘 され はた と 思い当り ここに これまでの経緯 を ご説明しようと 考えた わけです 去る6月 川西のNOMAにて NOMAMISE というイベントが 開かれ ひつじぃ舎も参加させて いただきました その際の 出し物 が「弱き人々の内緒話」という コンセプトで 立場や 心や 様々な 理由で 弱い人の 独り言的 内緒話 を 私が書き てまねきさんが 本にする という スタイルでした 会期終了後 これ 結構おもろいな と思い立ち 100人分を目標に 内緒話 を 書いているわけでござい ます・・・・・・・・・・・誰か 本に してくれへんかなぁ などと スケベ心も抱いております また 来年 予定しております 「となりの世界・リローデッド」(ええんか こんな タイトルで) に合わせまして 少し 長い物語を 書こうかと 考えております(ほんまに 書くんか? 間に合うんか?) そのエスキース と なればと 綴っている次第です 100人分 先は 長いですが お付き合いのほど よろしく お願いいたします 裏 ひつじ ■
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by urahitsuji
| 2011-07-25 06:26
| お報せ
2011年 07月 24日
「彼女 と わたし」
42歳 女性 彼女と わたし ふたりは 同じ 街で 生まれた 生まれた 年も 同じだった 子供のころから 仲が よかった 同じ リセ に 通い 同じ年に バカロレア を 取得し ナンテール の 同じ 教室に 席を 置いた 彼女が どうであったか わからないが 私は 彼女に 相当の 親しみと ひとりよがり かもしれない 情を 感じていた だから 出来ないはずの 勉強も ずいぶん 頑張れたのだ と思う 彼女に 父親は いなかった それでも 母親とふたり 豪奢なアパルトマン に 暮らしていた 時折 年配の男の人 が 訪ねてくる 事は 知っていた そのあと数日 彼女は 浮かない表情ばかり していた それから 「私は 前向き だから」と 何度も ある時は壁が 相手だったり 空が相手だったり 独り言 のようであったり しながら 彼女は つぶやいた わたしが 傍にいても 関係ない 様子だった 私には 父親が いた けれど 彼は 失業していて 家計は苦しかった ちょうど 15さいの頃 田舎の親類が亡くなり どういうわけか 父がその僅かばかりの財産を 相続することとなった おかげで HLM に引っ越す話は 流れ 私は この街にも 彼女にも 別れを 告げずにすんだ 「ものごと の 悪い側面 ばかり 注視していては だめよ」 大学を卒業する日 彼女は 急に 思い立った ように 私にそう告げ それから 頭を やさしく 撫でてくれた 美しく 品のある彼女に そう言われ そうされて 私は とても 嬉しかった 卒業と同時に ふたりは 別々の 道を歩んだ 彼女は 大学に残り 研究を続けた 私は リセの 教師をしながら 小説家 を目指した 数年後 彼女が 結婚したと ことを母に聞かされた お相手は 忘れたが 政府関係者 だったと思う 私は 物語がうまく書けず どん底の 毎日を 送っていた 見掛けだけのダメな 男に 恋をし 2度 の 堕胎を 経験し そのあと アルコール にも 溺れ クスリ にも 手を出す始末だった ときどき 彼女のことを思い出し 会いたいと 願ったけれど 会えるはずは なかった 会ったところで 彼女をがっかりさせるのは 目に見えていた 死 を身近に 感じた それを 行うことが 自分の人生にとって 最良の選択では ないかと 少しずつ 思い始めていた そのころ 今の夫と 出会った 彼は地味で 無口で 何も持っていなかったが ありのままの私を愛してくれた パリから ブルターニュの海に面した街に 移り ふたりで ちいさな宿を営んで もう 10年余りに なる そして 今 しばらく ぶりのパリ 彼女の 葬儀に 参列するために やってきた 自殺 だった 「ものごと の 悪い側面 ばかり 注視していては だめよ」 20年ほど前に聞いた 彼女の 最後の言葉 あのあと 彼女に何が あったのか どんなふうに 生きたのか 私には知る術は ない けれど そうすることを 選択する 理由が 彼女には あったのだと 自分に言い聞かせた ■
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by urahitsuji
| 2011-07-24 16:21
| ひとびと その 内緒話
2011年 07月 24日
「もしも は ないよ」
水子 人の時間で言いますれば 四十年程前に 堕胎 されました 両親に あたる 人物は 経済的に 下の上 といったところ にもかかわらず 避妊しない方が 快楽が得られると 思いこんでいた らしく 他にも 闇に 葬られた兄弟がいるようです 生き延びた 兄弟も います 兄は 50歳 に なります 姉は 45歳 に なります ふたり と も 生きるの たいへん なようです きつい ようです もしも もしも もしも もしも も しも もしも は ない です ね けれど もしも 生きる こと ができていたなら オイシイモノ タベテ ミタカッタ キレイナ アサヤケ ミタカッタ ダレカニ カタヲ ダイテ モライタカッタ アタタカイ手 ニ フレテ ミタカッタ カイラク モ アジワッテ ミタカッタ 言葉 ヲ アヤツッテ ハナシテ ミタカッタ ミタカッタ ミタカッタ もしも もしも もしも は ないよ ■
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by urahitsuji
| 2011-07-24 15:36
| ひとびと その 内緒話
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