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2011年 09月 06日
「あれが パリ の灯 だ」
48歳 男性 あれから 二十年 以上の 時間が 過ぎて いる 飛行機は 間もなく シャルル・ドゴール空港に 着陸する 若い 頃 読んだ 物語に 似たような 場面があった あれは フランクフルトの空港だったか ハンブルグの空港だったか ビートルズ の曲 が 流れたのを きっかけに 主人公は 回想 しはじめる 思い起こすのは ある 女性 とのことだ 曲は 流れないが 私も 回想 する やはり ある 女性 の ことだ けれど 現実の 回想は 物語 の それとは ずいぶん 違う それは 私が もうすでに 感受性豊かな 読み手 ではなく 記憶をあさり 掘り起こす 擦り切れた ひとりの 中年男にすぎないから だろうか いや 訳は 別にある 何れにしろ 物語 ほど 甘美 でないことは事実だ あのころ 私はパリに いた そう言えば 聞こえは良いが そこで 仕事に就いていたわけでもなく 学業に 励んでいたわけでも ない ただ 気儘に 美術館を巡り 酒を飲み 毎日フラフラしていただけ だ もともと フランス になど興味はなかった ただ 「フランスに 行きたいんだ」そう 彼女に告げたかっただけだ 彼女を 困らせ 結局 承諾してもらう いつものように いつもの ように したかっただけだ 私と彼女は 同じ年で 子供の頃から お互い良く知った 間柄 だった 私は母がなく 彼女には 理由は知らないが父親がいなかった 帰りが遅い父親を待つ 私が不憫に思われたのか 彼女の母親は事あるごとに 私に夕食を食べさせてくれたり 身の回りのことを 世話してくれたりした 彼女も同じ学年だというのに まるでお姉ちゃん 気取りで いつも 私を弟のようにあつかい まんざらでもない様子だった それでも 思春期になると 私は 彼女たちを避けるようになった たぶん 気恥ずかしく 或いは 変に後ろめたく感じていたのだと思う 22歳 二人は再開を果たした それでいきなり 一緒に暮らし始めた 彼女がどうであったかわからないが 私には愛情などなかった 当時彼女は 苦労して大学を卒業し 大手の銀行に勤め始めた頃だった 私は 早くに大学を辞め定職にも就かず 父親とは口を利かなくなり 家を出 友人のアパートを渡り歩く 毎日だった 収入のない私を 彼女は 自分の部屋に住まわせ しっかり者の姉 を演じるかのように 叱り 宥め 励まし 勇気づけ 「あなたが一人前になれるよう わたしが・・・・・」と言い 生活のすべてを面倒みてくれた わたしは 彼女の金で 毎日飯をくった 続いて彼女の金で 運転免許を取った 次に 彼女の金で面接用のスーツを買ってもらった それだけではく 彼女の金 で 流行りの服も買ってもらった ついには 車もねだった 彼女の金で 夜遊びもした いつのころか 実は 彼女が NO と言えないことに 気づいた 要求はどんどんエスカレートしてゆく 怒りはするものも 結局 最後には彼女はいつも 首を縦に振る 無論 大手企業とはいえ そんな金が彼女に稼げるはずは なかった 夜の店で働いたり 身体を売るようなこともしていたようだ まさに ヒモ の 状態 そして とどめ が フランス 行き フランスの 暮しに 飽きた私は 日本に帰ることになる それでも彼女 に 会いに行くことは しなかった 連絡も取らなかった あれから 随分 時が過ぎた 彼女は 今 どこで どうしているだろうか
by urahitsuji
| 2011-09-06 22:24
| ひとびと その 内緒話
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