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2009年 10月 28日
我々は、どこへゆくのか? 我々とは、何者か? 我々は、どこから来たのか? ポール・ゴーギャン晩年の大作であります。貧困と絶望に苛まれながら、遺書代りに描いたといわれています。 人という生き物の、抱く、根幹的な問いかけであると、思います。 多少の表現とニュアンスの違いがあるとしても、誰もが時折、自らに問いかける命題であると思われます。 そして、答えに到達することが、きわめて困難な問いかけでもあります。 私は、どこへゆくのか? 私は、だれなのか? 私は、どこから来たのか?(ゴーギャンの問い、にはおそらく「私」とい含意があると思われます。) この問いを、私に問いかけ始めたのは、一体、いつのことだったのでしょうか。気がつけば、それはいつも共にあったような気がします。 そして、その答えは未だ、見つかってはおりません。 解明のためのツールは、そこ、ここ、にちりばめられている。 家族。哲学。宗教。因習。生物科学全般。文化人類学。・・・・等々。 けれど、どれも、想像と妄想の範囲を超えるもではありません。 おいしいものも、苦く不味いものも、口にして、肉体的に経験しなければ理解できないのです。 赤ちゃんに縁がなく生きていたのですが。近頃、接する機会がずいぶん増えました。 活発だけど泣き虫な、蒼一朗。 私がこわいようで、泣かれてしまいます。けれど、なみだを流す前の情けない表情がかわいい。 愛想よしの、太郎。 それから、会える日が待ち遠しい ノリタケ。 みんな、かわいい。 この子たちが、いつか 私は、どこへゆくのか? 私とは、だれなのか? 私は、どこからきたのか? という問いかけを始めた時 ささやかなツールをプレゼントしてあげられれば、と願っています。
by urahitsuji
| 2009-10-28 05:10
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