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2010年 01月 10日
最近、気がついたのですが。
音楽を聴いていたり演奏したりする時、フレーズの重なりと変化に意味の在り処を感じるのです。 たとえば、文章で書くのは伝わりにくいのかも知れませんが、速いパッセージなどで、トリル風の6連譜、そのすぐ後に、短く一拍空けて8分音符がひとつ。それを3フレーズひと組で繰り返す。 6連譜のほうは同じ3音を繰り返しているだけなのですが、8分音符のほうは、4度、5度、7度の♭と変化してゆく。 繰り返しながら、変化してゆく。 この辺りに、音楽の意味性があるのではないかと、思うのです。 もちろん主たる、メロディーにも意味はあるでしょうが、それは確信的なものではなく、導入の役割を担っていると思えるのです。 繰り返しながら、変化してゆく。 それで、比較的不安定な7度の♭が、次の主題への橋渡しをする。 宇宙(そら) うごい て る この 星 うごい てる 風 も う ご く 朝 も う ご く 僕 ら も 僕ら も しら ない う ちに うご く く りか えす 毎日 毎日 くり か え す くる日 も く る日も いみ が い み が か わり つなが り かた を かえ る あたら し い 日 のため に DEATH AND FROWER Keith Jarret
by urahitsuji
| 2010-01-10 12:45
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